熊本地震から10年、つなぐプロジェクト 熊本地震から10年、つなぐプロジェクト
熊本地震から10年、つなぐプロジェクト 熊本地震から10年、つなぐプロジェクト
scroll

熊本地震から10年。
記憶をつなぎ、これからの未来へ。

熊本地震から10年。
記憶を繋ぎ、
これからの未来へ。

熊本地震で犠牲となられた方々に深く哀悼の意を表するとともに、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。また、復興に向けて歩みを続けてこられたすべての皆さまの不断の努力に、改めて深く敬意を表します。
発生から10年という節目を迎えるにあたり、ロアッソ熊本は、熊本地震の記憶と教訓を未来へつなぎ、次の世代へ受け継いでいくことを目的に、「つなぐプロジェクト」を立ち上げました。
本プロジェクトでは、当時の経験を風化させることなく、地域の絆や支え合いの精神とともに、災害に備える意識や行動を育む防災の取り組みを推進してまいります。熊本地震から得た教訓を共有し、未来の命を守る力へとつなげていくことが、私たちの責務であると考えています。
そして、熊本地震の際に全国のサッカーファミリーから寄せられた温かいご支援と励ましは、ロアッソ熊本にとって決して忘れることのできない大きな力となりました。あの時いただいた恩に応えるためにも、私たちは熊本で学んだ経験と感謝の想いを全国へ、そして未来へとつなぎ、サッカーを通じて支え合いの輪を広げてまいります。
これからも地域の皆さまとともに、熊本の未来を見据えた防災・減災の取り組みを進めるとともに、サッカーが持つ力で「つながり」を育み続けてまいります。

熊本地震から10年
つなぐプロジェクト

震災から力強く立ち上がる熊本城と阿蘇、
ロアッソ熊本がサッカーを通して届ける
スポーツの力を刻み、
堅い握手には震災の記憶を忘れず、
手を取り合って次世代へバトンをつなぐ想いが
込められています。

応援する、学ぶ、備える

EVENT

明治安田J2・J3百年構想リーグ 地域リーグラウンド 第11節 ロアッソ熊本 vs サガン鳥栖 明治安田J2・J3百年構想リーグ 地域リーグラウンド 第11節 ロアッソ熊本 vs サガン鳥栖

明治安田J2・J3百年構想リーグ 地域リーグラウンド 第11節 ロアッソ熊本 vs サガン鳥栖

開催日
4月19日(日)15時キックオフ
試合会場
えがお健康スタジアム

熊本地震から10年が経ち、当時を知らない世代が増えています。熊本だけでなく、佐賀をはじめ日本各地で、いつ起こるかわからない自然災害に備えるためにも、震災の記憶や教訓を知ることは大切だと考えています。今回の招待企画が、家庭で震災について話すきっかけとなり、子どもたちが自分ごととして防災を考える一歩になればと願っています。

小中高生無料招待
「つなぐ」プロジェクト
小中高生招待
熊本地震の記憶と教訓を未来へつなぎ、次の世代へ受け継いでいけるよう、ロアッソ熊本を応援する子どもたちはもちろん、対戦チームであるサガン鳥栖を応援する子どもたちも含めた小中高生を無料招待いたします
ロアッソ熊本イベント情報
ロアッソ熊本
イベント情報
ロアッソ熊本が全国のサッカーファミリーから届いた温かな支援への感謝を胸に。熊本地震の記憶と復興の歩みを風化させず、あの日受け取った絆を未来へつなぐイベントを実施します
パートナー・行政イベント情報
パートナー・行政
イベント情報
行政やパートナー企業と連携し、熊本地震から10年、復興の歩みを次世代へつなぐイベントを開催します。熊本の未来を共に創る特別な体験に、皆様でご参加ください
熊本地震から10年つなぐマッチ試合情報
熊本地震から10年
つなぐマッチ 試合情報
「熊本地震から10年つなぐマッチ」の試合イベント・スタジアムグルメ・アクセスなどの情報はこちらから

繋ぐ

MESSAGE

熊本地震とロアッソ熊本に関する
ファン、サポーターの皆さまご自身の
エピソードを掲載中。

※メッセージにつきましては、
投稿いただいた原文で掲載しております。

  • 私は前震の4/14の夜、益城町にあるグラウンドで被災しました。ちょうどクラブチームのサッカーの練習が終わる頃で、地震の後チームのみんなと保護者で夜中までグラウンドの真ん中で過ごしました。 被災後もちろんすぐには練習を再開できず、当たり前にサッカーをできていた日常にとても感謝でした。 徐々に日常を取り戻していく中で、サッカーを通して色んな方々が支援してくださったのを覚えています。全国大会で仲良くなった大阪のチームからビデオメッセージやプレゼントをもらったり、多くのサッカー選手が学校であったり、サッカー教室で尋ねてくださいました。 ロアッソでも、当時所属されていた巻さんが私の小学校で支援活動を行ってくださいました。またロアッソといくつかのチームの選手合同でのサッカー教室にも参加させていただきました。 サッカーとロアッソ熊本はこれまでもこれから先もずっと私自身を形づくる大切な一部分です。 これからもロアッソ熊本を応援し続けます。

    ユユさん 上益城郡益城町

  • ここが俺たちのホームだ

    2016年7月3日うまかなよかなスタジアムに赤馬戦士が戻ってきた。白岳サンクスマッチは熊本地震復興支援マッチとして開催され、これはその日のマッチデープログラムの言葉だった。 私は被災各地での支援活動をする中、多くの方の涙に接し、厳しい言葉も聞き、もがきながら一生懸命立ち上がろうとする方達に触れる度、自分に何ができるか悩む一方で、それまでの何気ない日常のありがたさを実感していた。 そしてあの日、サッカーのある日常が帰って来た。素直に嬉しかった。幸せだと思った。ゴール裏は立入禁止だったためメインスタンドは満員だった。試合には敗れたが、そこには確かに笑顔があった。 無人のセレッソ大阪のゴール裏には「熊本にJリーグが帰ってきたこの日をオレ達も忘れない!サッカーの絆とともに頑張ろう熊本」の横断幕が。これがJリーグの姿だ。涙が溢れた。悲しい時も嬉しい時も流れる涙は尊いと思う。あれから10年、そして今日もスタジアムに向かう。苦しい時に苦しさを忘れる時間、笑顔になれる時間、それが私のロアッソ熊本。これまでも、これからもロアッソとともに。

    ばんぱぱさん 熊本県合志市

  • 当時私は3歳というまだ小さな命でした。 母親や、祖母は、私に付きっきりで 今では感謝しかありません。八代で 被害を受け、八代市のまつたか小学校の体育館に避難していました。当時3歳だったということで、体育館で走り回っていたそうです。そんな僕を熊本地震から守ってくれた方々が沢山いらっしゃると改めて実感しました。 J1の柏レイソルさんのスタジアムを借りて震災後初めてのホームゲームができたのはほんとにありがたく感じています。 今は、12歳の中学生ということで、勉強やスポーツを頑張っています。そしてロアッソ熊本の応援も頑張っていきたいと思います。最近は応援歌も覚えてきて、 声を出しながら応援しています。 ロアッソサポーターとして全力で応援しようと思います!!! 目指せ!J2昇格!

    かいちゃんさん 熊本県玉名市

  • 今思い返すと10年前はかなりライトなサポーターでしたね。 熊本生まれ熊本育ちの自分にとって唯一の地元プロサッカーチームでしたし応援はしていましたが、年に一回程度スタジアムで観戦したり、あとは新聞とかで試合結果を見たり。 10年前の前震発生時は当時中学生の愛娘とソファに並んで座ってTVを見てる最中に突然今までに経験したことがない激しい揺れに襲われ、必死に娘を守りました。 揺れがおさまった後、家の中の惨状に驚愕。 食器は大量割れ、TVは倒れ、洗面台は壁から剥がれ落ちていました。 そして2日後の本震発生。 余震が繰り返し発生する中、自宅内は危険と判断して自宅前の駐車場で車中泊、入浴は当時佐土原にあった温泉施設を利用しました。 露天風呂に浸かり、これからの生活はどうなってしまうのだろうと考えていたところ、 「救援物資の量、凄かったですね」 との会話が聞こえてきたので、 えっ?これってニュースであってたジェフ千葉さんからの救援物資の話なんじゃ?と思い横で入浴してる人を見たらライトサポーターの自分でも知ってる清武功暉選手と鈴木翔登選手でした。 プライベート中なので申し訳ないとは思いましたが施設の外で清武選手にお声掛けして一緒に写真をお願いしたところ、快く了承していただきました。 そして6月19日に当時のベストアメニティスタジアムで開催されたカマタマーレ讃岐戦に参戦し、清武選手のスーパーロングシュートに度肝を抜かれ、今後は自分がチームをサポートする番だとの思いで翌2017シーズンからシーズンシートを購入しサポーターになりました。 26-27シーズンはJ3からのスタートになりますが、最短でJ2に昇格してまた皆んなで泣きましょう。 そして最終目標のJ1まで駆け上がりましょう。 頑張れロアッソ!頑張れロアサポ!

    あきさん 上益城郡益城町

  • ロアッソ熊本ボランティアSAへの道標となった熊本地震 当時は子供のクラブ活動とロアッソの試合日程を確認して子供とスタジアム観戦していました 熊本地震発生後、子供のクラブ活動は停止してしまい大好きなサッカーが出来ない状態になってしまいました ある時、益城のクラブチームからのお誘いで日本サッカー協会様、ロアッソ熊本様主催のサッカー教室に参加させて頂き子供達がサッカーボールを笑顔で追いかける姿を見せて頂いた事にとても感謝致しました 当時の日本サッカー協会会長田嶋幸三氏をはじめ日本代表ハリル氏、協会関係者様方、ロアッソ熊本選手、クラブ関係者様方のご尽力に感謝しかありませんでした 子供のサッカーが終わった時、いつの日にかロアッソ熊本に恩返ししたい気持ちで今、やっとボランティアSA活動に携わらせて頂いております ボランティアSA活動4年目になりましたがあの時の感謝を忘れずこれからも頑張りますので宜しくお願い致します

    悠夢さん 菊池市

  • 地元熊本の悲劇を遠い関東から見て涙し、アーセナル風のユニフォームを纏った強いロアッソ熊本も活動停止。ロアッソ熊本の復帰戦と、その次の柏でのホーム主催試合は負けても最後まで走りきる選手に「おかえり」と、このフラッグを掲げました

    まめごんさん 埼玉県さいたま市

  • 2016年4月、熊本地震を私は忘れることができない。前震があった翌日の15日、私は水やオムツを買って益城町を訪れていた。そしてその翌日、16日1時25分、南阿蘇で震度7の本震が発生した。 その時、私は自宅の自室でテレビを見ていた。突然の激しい揺れに、倒れてくる家電や家具の中で身動きが取れず、揺れが収まるまで必死に耐えるしかなかった。ようやく落ち着いた瞬間、同じ部屋にいた妹の手を引き、無我夢中で外へ出ようとした。窓からの脱出も考えたが、ガラスが割れていて危険だと判断し、玄関へ回った。しゃがまなければ通れないほどの隙間をなんとか抜け、ようやく外へ出ることができた。翌日崩れた自宅を見ると、玄関が最も激しく崩れており、無事に脱出できたのは奇跡のように感じた。 玄関の上の2階にいた両親には外から声をかけ、無事を確認できた。一方、家の奥の部屋には祖父母が取り残されていた。視覚障害のある祖父は混乱の中で衣類を探しており、一刻も早く助け出す必要があった。当時、両親が営んでいた東海大学阿蘇キャンパスの学生寮から避難してきていた学生たちに「誰か手伝って」と声を上げると、2人の男子学生が駆けつけ、祖父母をおんぶして外へ運び出してくれた。肌着姿だった祖父には、自分のパーカーを脱いで着せた。祖父母も無事だった。 その後は近くの小学校のグラウンドで、毛布を持ち寄りながら一晩を過ごした。多くの人の協力によって家族全員が助かり、普段からの「絆」を強く実感した瞬間だった。 今では親子三世代でロアッソ熊本の観戦に夢中になり、それが生きる糧となっている。

    つむちゃんママさん 阿蘇郡南阿蘇村

  • 熊本地震発災からしばらく、物資の拠点となり使えずにいたホーム、うまかな・よかなスタジアム(現:えがお健康スタジアム)にロアッソ熊本が帰って来たのが2016年7月3日のセレッソ大阪戦でした。 ロアッソの試合を生で観戦するのはその日が2回目の私。小国町で仕事をした帰りに光の森駅からバスでスタジアムに向かったのを覚えています。そしてスタジアム入場直前、前に居たセレッソサポーターの方の会話が聞こえてきました。「もちろん勝ちたいけどさ、カモンロッソやりたいやん!震災後(ロアッソが)初めて勝った時泣いたもん!」応援するチームが他にありながらも、ロアッソにも熊本にも寄り添った会話に試合前から思いがけず泣きそうになりました。 その日、安全に配慮する形でスタンド内客席はメインスタンドのみの運用でしたが、9,322人が詰め掛け、ほぼ満席だったので空いた座席を探すのに苦労しました。私はそのど真ん中(現在のSSミックス指定席)しかもけっこう前の方に入れてもらいました。ゴールが決まれば隣近所の席にいた見ず知らずの方々とハイタッチ!納得いかない判定には「何でだよ~」などと言いつつ、90分、熱く応援しました。試合は1-5で大敗を喫するも、惜しみない声援と拍手が両軍サポーターと共に贈りました。 その試合中、バックスタンドの向こう側に虹が見え、これからのロアッソにもこれからの熊本にも希望を抱いたのを覚えています。 それから8年後、2024年からスタジアムMCとして盛り上げる立場になった私は、あの時のメインスタンドのずっと上、オペレーションルームからロアッソ熊本のある日常に感謝しつつ、より感動と興奮を増幅させる使命をしっかり全うします!

    NABECCHI MCさん 熊本市

  • 2016年、熊本地震。日常も週末のスタジアムも奪われた私たちロアッソ熊本のサポーターにとって、5月22日の「ホームゲーム」は特別なものだった。舞台は遠く離れた千葉県、柏レイソルの本拠地である日立柏サッカー場。 他クラブの大切な聖地を借りる以上、郷に入っては郷に従い、ルールを厳格に守らなければならない。私は熊本在住の柏サポーターを通じ、柏の名物サポーターにコンタクトをとった。決まり事を踏襲したいと申し出た私に対し、返ってきたのは「がんばって」という温かくも力強い一言だけだった。 全面的な協力体制は試合当日の運営からも伝わってきた。柏の担当者との打ち合わせで旗の扱いなど最低限の確認が終わると、「それ以外は、普段熊本でしていることをやってください」と言葉をかけられた。 極めつきは2階席での出来事だ。普段は大旗が禁止されているエリアだが、「熊本のために」と特別に解放してくれたのだ。事情を知らない柏サポーターから「そこは禁止事項じゃないのか」と声をかけられた熊本サポーターもいた。しかし、運営から許可が出ていることを伝えると、文句を言うどころか笑顔でこう言ってくれた。「じゃあ、ドンドン振れ!」 スタンドを見渡すと、そこにはさらに夢のような光景が広がっていた。日本全国から駆けつけた様々なクラブのサポーターが客席を埋め尽くし、事前に学習したり見様見真似で、私たちと一緒にロアッソのチャントを大声で歌ってくれたのだ。 クラブの垣根を越え、スタジアムにいる全ての人が「熊本のために」と心を一つにしてくれたあの空間で、私は「サッカーファミリー」の持つ本当のチカラと、これ以上ない心強さを肌で知った。あの日の一体感と温もりは、震災から10年を迎える今も決して色褪せることはない。日立台で起きたこの奇跡のような出来事を、サッカーが繋ぐ絆の証として、私はこれからも後世へと語り継いでいきたい。

    つつみさん 熊本市

  • 10年前を思い返そうとスマホの写真フォルダを見ると全壊した家の写真や風景がありましたが1番多かった写真は他チームのサポーターの横断幕でした。 それを切り取って1枚の写真にして待ち受け画面にしていたことを思い出しました。柏さんや鳥栖さんのスタジアムを借りての本拠地変更試合。私は地震で足を骨折してしまい行けず、地震後初めてのホーム戦でメインスタンドも一緒になって涙を流しながら歌ったHIKARI。 ロアッソが私の日常に戻ってきたんだ。きっと選手の方もまだ被災されてる中での試合だったと思います。 サッカーのある毎日は当たり前ではなかったのだと実感した日になりました。 当たり前ではないことを噛み締めながら震災から10年後の今日も私はロアッソを応援しているでしょう。

    まーちくさん 合志市

  • 「1番大事なモノを持って避難するよ」2016.4.16深夜、寝ぼけ眼の子ども達にそう伝えると2人とも自分にとって1番大事なモノを持って来ました。当時小学6年生だった息子が胸に抱いていたのはサッカーボールとスパイク。それを見た私は胸が締め付けられました。「この子が大好きなサッカーが出来なくなったらどうしよう」その日は避難先の床に毛布を敷いて親子で横になりましたが息子はサッカーボールとスパイクをしっかり抱いて眠りました。数日経ってロアッソ熊本のHPに熊本の子ども達とロアッソ熊本の選手、スタッフの皆さんでBBQ大会を開くという内容の記事が出ました。すぐに息子のチームメイトに連絡して参加出来る子ども達と共に高森町の施設に向かいました。途中、亀裂の入った道路を避けながら、ひび割れした阿蘇の山々に心を痛めながらなんとか到着。 そこにはスタジアムで応援している大好きなロアッソ熊本の選手達が笑顔で待っていてくださったのです。 息子達は大興奮。選手達が綿菓子を作ったり肉を焼いてくれたり、選手達から子ども達に気さくに声をかけてくれるのです。夢のような時間、子ども達は終始笑顔でした。 帰る時間が近づいて名残惜しい気持ちでいると嶋田慎太郎選手が息子達に「サッカーやる?」と声をかけてくださいました。子ども達は大喜びで駆け出し、広い草原で思いっきりボールを蹴っていました。 あれから10年経ちますが、今も息子はあの時の感動をハッキリ覚えているそうです。 そして今もサッカーを続けていられるのはあの日ロアッソ熊本の選手の皆さんが子ども達に夢、勇気、元気を与えてくださったから。自分もそんな選手になれる様にと毎日サッカーを頑張っています。 地震は怖かったけど、大切な事を教えてくれた1日でした。 ありがとうございました。

    長船なお美さん 熊本市

  • 2016年5月15日ジェフユナイテッド千葉戦。震災後初のリーグ復帰戦は、0-2でロアッソ熊本敗戦。 少しでも勝ち点を熊本に届けたかったのですが…。試合後のインタビューで言葉に詰まる巻選手の表情には悔しさが滲んだ。 選手も被災しスタジアムは支援物資拠点となったこの1カ月、生活もままならないなか練習も困難な状況での試合だった。それでもこの人は、そしてチームは、熊本を想い前を向いている。 その想いに客席からぽつぽつと拍手が湧く。やがてひとつになった拍手に、ジェフサポーターからの「頑張れ熊本!」のエールがスタジアムいっぱいに響いた。 選手、チーム、サポーター、そして熊本が前を向いて進む勇気を勝ち得た、勝負を超えたあの試合は忘れることができない。 10年経った今でも、ロアッソ熊本は私の復興のシンボルだ。

    さとみさん 東京都港区

  • 震災の闇に灯った、オレンジ色の絆

    2016年4月。熊本地震の激震は、私の家族の日常を一瞬で奪い去りました。最大の被害を受けた益城町に住んでいた妹夫婦と、三人の甥っ子・姪っ子たち。幸いにも大きな怪我はありませんでしたが、自宅を追われた子どもたちは、私の家へと避難してきました。 しかし、避難してからもなお、絶え間なく続く余震が子どもたちの心を締め付けます。小さな身体を震わせ、怯える彼らの姿。私はやり場のない不安を、祈るような気持ちでSNSに綴りました。 その投稿を目にし、すぐさま行動を起こしてくれた一人のサポーターがいました。北海道・札幌に住むエスパルスサポーターの方です。驚いたことに、その方は遠く北の大地からわざわざ熊本の我が家を訪ねてきてくださったのです。 手に抱えられていたのは、大きな一箱の段ボール。中には北海道の名物「焼きそば弁当」がぎっしりと詰まっていました。さらに、当時清水エスパルスに在籍していた澤田崇選手のサインが入った、オレンジ色のゲーフラまで添えられていました。そこには、力強く「チカラをひとつに。」という言葉が躍っていました。 さっそくみんなで作った、温かいカップ焼きそば。湯気とともに広がる香ばしい匂いに、それまで強張っていた子どもたちの顔にパッと笑顔が咲きました。夢中で麺を頬張るその姿は、震災以来、私たちが一番見たかった光景でした。 あの時、私たちは一人ではないのだと心の底から実感しました。この一件だけでなく、全国の多くのサポーターの方々から、数え切れないほどの激励と支援をいただきました。 クラブの垣根を越え、苦しい時にこそ手を取り合う。サッカーが結ぶ「サポーターの絆」は、どんなに激しい揺れでも決して壊れることのない、復興への確かな希望の光となりました。あの日いただいた優しさと焼きそばの味を、私たちは一生忘れることはありません。

    パン屋のおやぢさん
    熊本市中央区出水

  • 東京にいる熊本出身の自分が、熊本へ何か力を、声援よ届け、とロアッソ熊本の試合へと向かった2016年5月22日のあの日。 昨日のロアッソ戦は、熊本で試合ができない状況に、異例となる日立柏サッカー場でのホーム戦。柏レイソルの協力によって実現した水戸ホーリーホックとの試合だった。 スポーツって、本当にすごい。 この状況でもプレーしようという想いを共有するそれだけで、スタジアムもそう、垣根をどんどん超えていく。 試合は惜敗。はためくフラッグに、熊本への気持ちを被災者でもある選手に託すのは酷なのか、、いや、そうじゃない。 試合できる相手チームがいる。想いを届けたいとプレーする選手がいる。きっと応援は、そのプレーにも想いにも力を注ぐこと。託すことだけじゃない。 さあ次へ!また、声を上げて応援しよう。 …10年経った今も、この先も。

    さとみさん 東京都港区南青山

  • 10年前の4月。妻は第一子となる長男を妊娠中でした。 21時26分の前震。私は病院勤務だったため、家族の安全を確認後、すぐに患者さんの安否確認へと向かいました。一旦は落ち着きを取り戻し帰宅したものの、就寝した後の16日1時25分、本震が襲いました。 近くに住む親戚もいる避難所へ妻を送って再び病院へ。病院は全入院患者の避難を決断、私は小児・新生児担当として人工呼吸が必要な赤ちゃんたちも対応しました。倒壊の危険もある建物の中でも緊急地震速報のアラームは繰り返し、その度にスタッフは赤ちゃんに覆い被さって守り抜きました。九州各県や他の地域からも救援いただき、日中のうちに全患者の転院を完了できた時の安堵感は今も忘れられません。 当時、好調だったロアッソ熊本も、練習すらできず失意の底にあったと推察します。しかし、選手たちは自ら支援物資を運び、避難所を回り、子供たちに寄り添い続けてくれました。その、誰かのために、と奮闘される姿をしっかりと覚えています。 その年の夏、震災の爪痕が残る中で長男が無事に誕生しました。あの日、お腹の中で震災を経験した息子は、元気に小学校へ通い、サッカーに夢中です。今では親子でスタジアムへ行き、ロアッソ熊本を応援しています。縁あって、当時傷跡の残る病院で関わり続けていた方ともサポーター仲間として再会するという、嬉しい出来事もありました。 恐怖の中で我が子を守り抜いてくれた妻、そして支えてくださったすべての方々への感謝は尽きません。震災の記憶がない息子には、「多くの人の必死の努力と協力があって、今の君がいる」と伝え続けています。息子には、これからも感謝を忘れずに、ロアッソ熊本のため、応援を続けて欲しいです。 他の人達を思った行動は必ず力になると、当時を直に体験し伝えられる選手は少数だとは思いますが、現在在籍中の選手にもその気持ちは必ず伝わると信じています。

    しんさん 熊本市熊本市東区

  • 熊本には2009年に仕事で滞在することがあり 割と期間が長かったため、たまの休みにはレンタカーで阿蘇にドライブに出かけていました。 その自然に魅了され仕事で九州を訪れるたび、時間があれば阿蘇に出かけるようになりました。 また、地元が川崎なのでちょうどサッカーを見るようにもなり 九州まで遠征した際にはついでに阿蘇にもよったり。 そんななか、熊本地震が起こり 熊本で試合できない中での日立台の試合 前日は新潟まで川崎の試合を応援しに行ってたのですが、チケットがまだあることを知り 急遽日立台に行き、チャントも選手も知らない中必死になってる空気感に感激してしまって、またすごく楽しくて熊本のスタジアム行ってみたいなって思ってしまった。 そこから関東近県だったり、川崎の遠征ついでに鳥栖だったり熊本の試合を見るようになって応援するのって楽しいなという気持ちを思い出させてもらって 2016年後期は復興割とかを使って、ホームゲームを見に行くようになっていました。 その後結婚し、妻とも熊本に行き「食べるものがおいしすぎて切ない」と言葉をいただいて年二回くらいは熊本にお邪魔出来ていたのですが COVID19の流行もあり、また子供が生まれたりもして2020年以降熊本のスタジアムには行けていません(アウェイは行ってる) また、少し疎遠になりかけていた友人とも、なぜかアウェイで再会したまに一緒にスタジアムに出かけたり何かと不思議な縁だなと思います。 こうやって、プロサッカーのチームがあって 何かしらの縁があって、応援することが楽しいと思えて少しでも生活に彩りが増えるといいなぁと感じています。

    タリムスさん 神奈川県川崎市

  • 私の一番の思い出は、熊本地震後初めて、約3ヶ月ぶりに熊本ホームで開催されたセレッソ大阪戦です。 当時まだスタジアムは避難物資の集積所として使用されていたり、今のメインスタンド側しか使用できませんでしたが、それでも多くの人が集まり、サッカーを見れる喜びと一体感を感じる事ができました。 試合前にロアッソ熊本の公式ソングが流れたこと、「がまだせ熊本」と書かれたビッグフラッグが掲げられた事、清武選手が先制ゴールを決めた事、最後まで全力で戦ったロアッソ熊本の選手たちの姿、どれも忘れることのないものです。 今ロアッソ熊本の試合を見ることが当たり前では無いこと、この熊本でサッカーの試合が出来ることに改めて感謝し、引き続き今のロアッソ戦士たちを応援したいと思います。

    こうすけさん 福岡県筑紫野市

  • 2016年 地震から少し経ったGWの頃 ふと思い立ってX(当時Twitter)で思いつく限りのロアッソ関係の知り合いに声をかけました 『BBQやりませんか?』 まだまだ復興途中 みんな毎日頑張ってました ロアッソも試合が出来ていない状態 BBQとか不謹慎だ!と言われそうな時期 でもみんな酒が好きで美味い飯が好きで友達と笑い合うのが好きなロクでもない最高の仲間です そしてロアッソが好きな仲間です ひたすら頑張ってるみんなですがストレスも溜まってると感じていました だからこそ 頑張ってる今だからこそ 普通に肉食って酒飲んで楽しもう! みんな立派な聖人君子じゃない ロアッソが好きな酒飲みだろ! そう思いました 飛び入り参加自由 自分の食う肉を持ってきてくれ 参加費は参加者で割り勘 雑なレギュレーションです 復興が大変な時期です 参加できないという返事はたくさん来ました 沢山のお断りの返事がありました 生活が優先ですもちろん仕方ありません それでも沢山のみんなが来てくれました 沢山のみんなが協力してくれました 酒を肉を持ち寄り そして当時なかなか出来なかった 普通の馬鹿話をし 弱音を吐き 愚痴を吐き そしてロアッソの話をして 最高のひとときでした 普段の生活では出会わない年代や職種の人々 ロアッソという共通点で出会えた仲間 いい年こいたおっさんでも 笑って 泣いて そして叫んで 日常の生活じゃできなくても ロアッソでは出来ます そんな老若男女沢山の友達に会えるスタジアムって最高ですよね ロアッソがあって良かった

    うるおい砂漠うしくんさん
    下益城郡美里町

  • 僕が被災したのは20歳の頃で、 その時は自分は熊本市総合体育館(ナースパワーアリーナ)に勤務していました!地震後はすぐ避難所になり、自分も仕事していてとても辛い思いをしていました! その中でとあるロアッソの選手が自分の職場(避難所)に来られていました! その方とは当時ロアッソに所属していた巻誠一郎さんです! 巻さんは三協フロンテア柏スタジアムでの水戸戦の前に自分の勤務地に来られて 避難されてる方に巻さんサイン入りうちわと食べ物など渡しに来られてました! 自分と巻さんがいるときはめちゃくちゃ興奮して!仕事が終わったあとに自分は水色のアウェイユニを着ていたのでそれにサインを書いてもらい、最後にお写真を撮り、水戸戦頑張ってくださいと一言かけたことを今でも覚えています! 本当に本当にあの日は忘れられない1日でした!

    うっちーさん 熊本市

  • 当時17歳だった私は東町に住んでいました。 震源地の益城町が近いこともあり 2度の地震で家の中はぐちゃぐちゃで 水道も電気もガスも止まり家に入れる状態ではありませんでした。 その時えがおさんが解放してると聞き向かいました。 受け入れれる人は全て受け入れお年寄りやお子さん、妊婦さんには出来るだけベットや布団、皆さんにはブランケットなどある分全てをかき集めて出してくださったであろうお菓子や飲み物。 こんな中建物の中に入れるだけでも有難いのにブランケットや食べ物飲み物がある幸せ すごく皆さん優しくて暖かかったです。 いつか恩返しをしたいとずっと10年間過ごしていますが 未だに何も出来てません。 そしてえがお健康スタジアムになり またお世話になってしまってる立場になってしまいました。 10年前当時はまだ夜は少し肌寒かったです。 えがおさんがいなければ寒い中何も食べれず何も飲めずただただ冷たい地面に座って過ごす日だったと思います。 本当にありがとうございました。 そしてこれからもえがお健康スタジアムでお世話になります。

    Kさん 熊本市西区春日

もっとみる

MOVIE

応援する

GOODS

防災セット
つなぐ防災プレミアムセット
※販売終了
防災用品のトップメーカーと防災士が共同開発した、水や食品、生活必需品などが詰まった基本の防災セットです。
27,500円(税込)
防災セット
つなぐ防災プレミアムセット
(フードプラス)※販売終了
基本のセットに加え、長期保存食を充実させたセットです。
29,700円(税込)
防災セット
つなぐ防災プレミアムセット
(キッズ用)※販売終了
防災機能はそのままに、お子様向けのアイテムを加えたセットです。
26,400円(税込)